今年のお盆休みは、通年なら16日で終わるところ、17、18日が土日となるため、大方が18日までに休みということで、やや長めの休みとなりました。

旅行や帰省など移動された方々も多かったでしょうが、梅雨寒の後の酷暑到来と、台風上陸など異常気象で往生された方も少なくなかったと思います。

そうした天候のせいもあって、夏物衣料なども格別に今年は売れていないようで、キモノ業界でも浴衣が本当に売れないという嘆き節が聞こえてきます。

季節もの商品は天候に左右されることが多く、浴衣でもあまりに暑い日が続くと着る人も減ります。
夕方になってやや涼しい風でも吹いていると、着てみたいと思われるかもしれませんし、そういう意味で今年は物販には酷な年だったかもしれません。

お盆も終わって秋の到来となるはずですが、残暑があまりに厳しいと今度は秋物の商品が売れないということですし、近年の異常気象はモノづくりの計画を狂わせます。

デパートで売っているような、質の悪い綿やポリステルなどの浴衣ではなく、良質な綿に手捺染で染め上がった浴衣への志向は根強くあるのですが、新品は仕立て代なども入れると結構な値になるので、そういった質の良い物のリサイクル品は人気があるとのことです。

そうした事実に鑑みると、消費者はやはり質の良い物を求めているのですから、新品で良質でリーズナブルなら売れるということだろうと思います。

私が実行した流通改革を成して、低品質のものが高くなるような今の全産業中最悪のカスのような流通構造を改めて消費者が求めているようにすればまだまだ実は捨てたものではないと思っているのですがね。

安物屋ほど嘘をつきろくでもないモノづくりに箔を付けようとしますし、それがまかり通ってしまう情けない世の中ですが、作り手である限りその良心は持ち続けてもらいたいものだと念願しております。

これから先数年がキモノ業界の未来を占うことになるでしょう。

この業界の栄枯盛衰をその渦中にあってずっと見続けて来た私としては非常に興味深いのですが、良い方向に変わるとは思えないのが残念です。

黒染について 補足

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前回の投稿でやや舌足らずなところがあり、補足します。

お買いになった黒留袖の色落ちの話でしたが、黒留袖の染方には、引き染でも二つの方法があります。

1つは黒い色の染料をそのまま引くのですが、もう一つは三度黒といって、豆汁を引いた後に、
1度目はログウッドという植物の根から抽出した液を引きます。
2度目はヌワールナフトールという化学薬品を薄めたものを引きます。
3度目には重クロム酸カリウムの液を引くのです。
こうすることで植物性の染料が、徐々に酸化しながら発色し、むっくりとした黒色となります。
単に黒色の染料を引くよりも、染着度は高く、かつて京都で作る黒留袖は安物以外はほとんどこの三度黒で染められたのですが、都合4回も引くので、当然加工単価が高いわけで、ろくでもない流通業者が暴利をむさぼるために、加工賃が逆算されて、悉皆屋も安く作らざるを得なくなり、現在ではほとんどすべてブラックの一回染めということになってしまいました。
明治になって先人が、スペインの皮の染色方法からヒントを得たこの染め方もほとんど姿を消してしまい、そのことが前回投稿したような事態を引き起こす可能性が増したということは言えます。
特に黒留袖に撥水加工をすると、ある条件が重なることで色移りの危険性が存在するということが知られています。

それにしても物販業者としては、まずは謝ること、返品か、作りなおしをするということが当然でしょう。言い訳するなどもっての他です。

売り手の質が落ちることで、当然ながら作り手も影響を受けます。

知識があって美意識があり、センスが良く、向上心のある人が売り手にいれば、良い物が作れるのですが、今のデパートなどは問屋の派遣社員などに販売を任せているから、その人物が、いい加減なことを言ったりしたりすると、お客はそのデパートの社員だと思っているので、結局信用に瑕がつくことになります。

デパートはキモノを見たりするのは容易ですから、集客力もあるので、もっと自前のしっかりした人材を教育していけば、キモノへの興味を持つ人が増えている事実からすると、正しく商えば、一番伸びしろのある売り場になる可能性があると思いますがね。

そのためにももっとキモノと、キモノを取りまく伝統文化の勉強を怠りなくすることは耳にタコができるほど訴えたいものです。

染まるということ

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過日来客されたご婦人の話ですが、大阪のあるデパートで、息子の婚礼のために気に入ったものがあったので、かなり高額な黒留袖をお買いになったということです。

披露宴はホテルだったようですが、その方はかなり御体格の良い方で、当日かなり暑かったということもあったのでしょう。大分汗をかかれたようです。

当然帯下あたりにも汗が溜まったと思われますが、なんと黒の染料が帯に移ったのだそうです。藍染で本藍の時に同じような現象があって、白い帯などに藍が移ることはあっても、黒留袖では非常に稀で、まずふつうはそういうことは考えられません。

当然そのご婦人はクレームを付けに行かれたのですが、担当者の対応があまりにもひどいようで、ありえないことを口走っていたようです。

こういうことはめったに起きないので、この黒留袖はお気の毒ですが不良品ですし、販売した者は当然ながらまずは謝るべきです。

ところがこの販売員は、留袖などを染める引き染は、こういうことはよくあると言ったそうです。
無知蒙昧、知ったかぶりの典型で、本当に困ったものです。


少し染めるということについて書いてみます。

後染めのキモノ(白生地に色々染加工して出来上がるキモノ)には漬け染め(侵染)と引き染があります。無地物は侵染を使うのがほとんどですが、柄があって糊が置いてあるようなものは引き染をします。

染料を水に溶いて、刷毛に付けて、白生地をこするように地を染めて行きます。

その前に豆汁を引いてむらなく染まるようにしておきます。

ちなみに柄の中を染めるのは筆で挿すと言いますね。

染料をむらなく地に塗った時点では、染料が生地の上に単に置かれたような状態ですので、染まったとは言えません。

この後蒸しをかけて、その後にまだ上に乗っている余剰の染料やノリなどを流し落とす
水元(水洗)をすることで初めて染が完了するのです。

蒸しを掛けるというのは木枠にキモノを止めて、蒸し箱のなかに入れて高熱の蒸気を掛けるのです。

そうすることで生地目が膨張し、染料の分子が生地の中、糸の中に入り込んでいき、定着するのです。
この蒸しの温度や時間をどれほどにするかというのが大切で、今回のようなケースは明らかに蒸しのミスで、時間と温度を間違えたのではないかと思います。

もう一つはその後に行う水元がおざなりで余分な染料が落ち切っていなかったということも考えられますが、蒸しが甘かった(温度を間違えた、時間が短すぎた)ということが原因に違いありません。

染料が正しく先着していない状態で、湿度と高温と摩擦が加わったので、染料の分子が動いて生地の表に出てきてしまったのでしょう。なんとその後が白生地のような状態になっていたということですから、ほとんど染まっていないということで、完全な不上がりです。
染めるというのは、白生地と染料が化学反応を起こすのではなく、染料の分子が糸の間に入っていくことですから、確かに摩擦には弱くて、今のような状態なら色が落ちるということも本当に稀にはありますが、普通にお召しになっている状態ではまずそんなことはありません。

それをその販売員は知ったかぶりで、引き染はよくそう言うことがあると言ってしまったわけで、他のキモノもそうなるかもしれないなどと、色落ちは当たり前のごとく回答したそうです。

染物がそんなに色落ちしたら大変で、そんなことはめったにありませんからご安心頂きたいのですが、売り手として最悪の対応をしているし、謝りもせず責任を取ろうともしないし、強いては我々染色業者を愚弄するような態度でもあるわけで、一番の責任者がそれなりの対応をしないのなら、消費者センターに報告した方がいいとアドバイスしておきました。

まずは謝って、同じものをもう一度作り直すのが最良の対応策です。

製造者の名もわかっているようで、平気で人真似をしたりする(当社も何度もやられました)業者ですからさもありなんと思ったわけですが、製品に問題はないと抜かしているそうで本当にこの業界は地に落ちたとしか言いようがなく、いつものことですがこんな話を枚挙にいとまなく、聞くたびに暗澹たる思いでおります。

回顧

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本当に酷暑続きで、夕方になるとかなり激しい雨が降るなど、まさに亜熱帯地方の天候に変わってきたように思うこの頃ですが、昔はこれほど暑いと思ったことはまれでした。

私は昭和47年にこの業界に身を投じたわけですが、当時は京都の基幹産業で、羽振りもよく、京都経済は和装関連業者の功績が一番でしたね。

私がキモノの仕事に従事したころは、作れば売れるという売り手市場の最期の方で、昭和50年くらいから全体の生産量が右下がりとなり、それ以降一度も右上がりになったことが無いという超構造不況業種となり、かつての京都の最大の産業が、今では風前の灯火となっている現実に暗澹たる思いです。

昭和30年代後半から始まったキモノブームで、戦前のキモノ業界の事情は大きく変わり、かつては上物は誂えないと無かったのですが、戦後復興の中で可処分所得の多い人がどんどん増えて行き、高級なものを誂えではなく、メーカーの思いで作って、市場にだせばそれが次々売れて行くという具合で、その先駆けで、いち早く最高級なモノづくりを始めたのが私の亡父でした。

また当時はキモノがまだまだ必需品でもあり、空襲で焼けたということもあって、作れば売れるという状況でしたから、1つの作品にいくらでも追加注文がありました。
手描き友禅はそれが何十枚とあったところで原価はそうは変わらないのですが、帯はそうではありません。最初の段階で初期投資は終わっていますので、1柄でたくさん追加が付けば付くほどどんどん儲かるという仕組みですので、俗にガチャ万と言われていました。

聞いた話では1柄で1000本も売れたということでしたから、当時の西陣の旦那衆の鼻息は荒かったですね。

そうした追加品の製造で、染も織も職人さんは目いっぱい働いていて今頃の盆休みも返上でした。ただ旦那衆は左うちわででしたし、結構な時代でした。

各問屋は盆明けに全国に出荷し、やっと夏休みが取れるような状況でした。

それが今ではまさに閑古鳥が年中泣いているような状況で、追加などめったになく、職人さんも手持無沙汰で、各職場はガラガラという状態です。

私はこの業界に、生産数ピークの忙しい時に身を投じて、そこからずっと右下がりで生産が減っていくのをずっと見続けて来たので、最近では業界の生き字引的存在になりつつあります。
このままでは手描き友禅の上物の生産が止まってしまうかも知れないような窮状、惨状は見たくもありませんが、何か打開策を講じなければ確実にそうなると思います。

作り手だけでなく売り手もベテランが去って、とんでもなく質の低い販売員が口から出まかせでものを売るようなデパートなどもどんどん増えて行きます。

本物の寿物を見る機会はドンドン減っていくでしょうし、これからも泰三の会を催していきますので、そういう時に是非ご覧になってください


来る9月8日、9日の予定しておりました第7回泰三の会を諸般の事情から延期することになりました。

来場予定の方々には大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。

新しい日時が決定しだいご通知申し上げます。

手描き友禅、西陣織ともに日本を代表する文化ですが、かつて作れていた上質な本物の生産上の危機が足音を立てて近づいています。

京友禅は他産地とコラボすることは出来るのですが、西陣織はオンリーワンの世界で、他の織物産地に振ることは不可能です。

それは西陣織の技がダントツに高いレベルにあるので他産地ではこなせないのです。

そういう意味で、西陣織の将来を私も案じています。

何ができて、何ができなくなるのか、そろそろ見極める時期に来ています。

業界として最高の時に身を投じ、今のような最低の時まで見てきた私としては本当に寂しい限りですが、致し方ない現実なのです。


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