残念ながら

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私は以前から、文化レベルと政治の話を書いておりますが、現在そういう意味で、日本国

の歴史の中で、政治力が過去最低の世界の恥さらしレベルであることは間違いの無いとこ

ろで、総理以下、日本の文化も知らないような屑レベルの男が平気で大きな顔をしていて

税金をふんだくっています。当然ですが文化レベルなど最低に近く、田舎くささがぷんぷんしています。

こんな連中にいくら日本伝統文化の価値や継承を訴えたところで、下手なゴル

フしか出来ないような無知、無教養、非見識、の男ではその言葉さえ分からないでしょう

しまずもって日本文化の低質化は予想を超えるスピードで進んでいくことでしょう。

国に頼ること自体がナンセンスですし、官僚の教養レベルの低さも開いた口がふさがりません。

臆面も無く、嘘は平気でつく、謝らない、責任は転嫁するばかりということですが、

財界人も同様で、こんなアホ連中をしかることも出来ず、それどころかゴマをいまだに

すり続ける始末です。

私が作り続けてきた高級なキモノづくりは、それなりの立場の人が世界で恥をかかないよ

うにと言う思いでしたが、これ程とんでもなくトップに屑ほど教養の無い夫婦が立っては

そういう思いも空回りするばかりですし、私の年齢もあり、そろそろ手張りでの高級品生

産はおしまいにしようと思っています。

現在手持ちの作品も今やお宝的存在となってきておりますが、お誂えでなら高級な物作り

も今ならぎりぎり可能とは言うものの、この先いずれ生産のレベルが下がっていくことも

必至ですし、そろそろ暖簾をしまう準備に入ろうと思っています。

ただキモノという文化にはたぶん一生関わっていくことだろうとは思いますので。完全に

足を洗うと言うことではありません。

心ある政官財の人材が現れ、日本伝統文化を残す価値に目覚めてくれればとは思います

が、親が何も知らないような家で、しかも和室もない家で育ってきたのでは、それこそ床

の間に腰をかけるレベルですし、日本国の最高学府を出ていても日本の歴史や文化もろく

に語れないというこの陳腐な国の教育は日本人のアイデンティティを喪失させるばかりで

したし、絶望的に教養の無い男女を生み出していきます。

まあこの先どう変わるかどうかは別にして、先代から引き継いだ仕事もそろそろ周りの環

境の変化から、色々な意味で変えざるを得ません。

今ある作品はまさに泰三の遺作となってしまうかもしれませんので、お求めになりたい方

は早い者勝ちという状況です。

もしお求めをお考えの方がございましたら、早い目にお見分けいただくことをお願い申し

上げます。

売り手側の需要創造もほとんど期待できないような状況の中での物作りも同様にどんどんとレベルが下がっていきますし、多くの高級な技が消滅してしまうという恐れは十二分にあります。

そうした技をキモノという服飾以外のところで役立てていくと言う知恵は当然求められますが、作り手自らがそうしたことの出来る人も非常に少なく。

常識的に考えても、今以上に生産規模は小さくなっていくことでしょう。

そんな中でもこれからこの業界の中で食べていく次世代の人たちは、正しく先人の知恵を尊敬を持って継承し、知恵を出して、その時代の消費者志向にあった、まじめな良い仕事をしていただきたいと心から念じています。

寂しい思い

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東京の業界の同世代の知人と久しぶりに会食をして、昔話などをしましたが、全国呉服青年

連合会という組織があって、私は京都のある青年会から、その組織に出向していたので、東

京だけでなく全国の小売や問屋の青年会の人たちとも交流がありました。

当時はキモノ業界もまだまだ隆盛で、その連合会は毎月京都で月始めに種々の情報交換や懇親を深めており、年に一度は各産地持ち回りで全国大会があり、それもまた楽しい思い出の一つです。

私が所属していた京都の青年会がその運営の中心的存在でしたし、この青年会は生産者と、問屋と小売店を垂直でつなぐという意味で意義があり、私もその運営に長く携わったので、多くの知己を得ることが出来ました。

私が業界の各方面にネットワークがあるのはこうした活動のおかげです。

青年会は基本的に定年があり、私の所属していた会は定年が45歳でした。

もう卒業して20年以上にもなるのですが、各青年会もだいたい40歳からまあ最長50歳までで、青年会を卒業していきます。

私の若い頃は同年代も数多くいましたので、会員数もそこそこ維持できていましたが、私が卒業したことを境に、若手が現実にいなくて、会員数は減り続けていて、全国にもたくさんあった業界団体の青年会が、人がいないと言うことで次々解散していきました。

特に生産地の状況が深刻でしたね。

まあそんなわけでその連合会も自然消滅のような形になってしまい、業界を縦でつなぐ組織が少ないだけに、非常に残念でした。

今のような時代だからこそ、まじめに各立ち位置での色々な話ができるこういう組織を復活して欲しいのですが、私の所属していた会にもそれだけのリーダーシップをとれるものもしませんし、本当にいつまで経っても業界が一致団結してこの難局を打開しようなどと言うつまらないお為ごかしの挨拶する人ばかりです。
今の日本にリーダーが不在というのはどんな仕事でも同じですが、呉服業界は悲惨です。

元来売り手が一番の牽引役なわけですが、口ばかりの自分のことしか考えない情けない輩は山ほどいても、産地の作り手の苦境を真に理解し構えてくれる人なほとんどいません。

まあ国のトップがあのように、すべての人が軽蔑こそすれ尊敬などあり得ないようなあの程度の男ですから、キモノ業界にスーパーリーダなど求める方が無理です。

ですから今は各産地も必死になって消費者に向かって情報発信をしていますが、肝心の間に立つ売り手が笛吹けど踊らずというところが多く、あるいは自分の利益ばかり最優先するので、産地としては買いやすい価格の普段着などの提案をしても銀座のある店などは訳の分からない作家ものの紬などをとんでもない値で売ることばかりに腐心していて、それでは産地の作り手の思いとは逆行します。

おり多くの人に、より買いやすい値で、キモノを啓蒙、啓発して欲しいとみんな思っているのです。

私はそういうたぐいのものは一切扱いません。ろくでもない弟子にやらせて判子だけおいているような安物紬作家が人間国宝などこの業界はねじ曲がってるのです。

自分で着てみて何が一番かと言うことの分からない連中が手描き友禅の逸品よりも、糸を紡ぐ手間だけの素朴な紬をとんでもなく高く売るというというのは、いかがなものでしょうかね。

などと言うようなことを書き出すと切りがありませんが、これからも真摯にキモノ文化のためにまじめに取り組みたいという思いです。

話が横道にそれましたが、かつてそのように色々おつきしてきた、先輩、同輩、後輩も立ち止まって見渡すと本当にいなくなってしまいました。

この20年ほどで、亡くなったり、存命でも、廃業あるいは倒産で店が数え切れなく、なくなっていきました。

当時からまだ同じような業態で頑張っているものは本当に数えるほどしかいません。

などとその知人と昔話をしておりました。彼と私の共通点は父を早く亡くしたことで、自らを律して我慢して我慢して頑張ってきたということです。

苦労をすることが今の若い世代に少なく、過去の歴史も勉強していないから、先人の知恵を馬鹿にしている輩も多く見受けますが必ず失敗しますね。

まあ私もそれほど長くは商えないでしょうが、アドバイザーとしては一生お役に立てればとは思うこの頃です。

需要喚起

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中国から帰ってきて、中1日で再び東京に出て参りました。

今月は付け下げのお誂え会をいたします。

自分のお好きなお色目で、好きな柄で、予算内でお染しようという試みです。

過日色無地をお染いたしましたが、大変喜ばれております。

最近私もデパートなどでも上品な色目のものがほとんど無いというのが現実で、売り手、作り手の勉強不足も甚だしいというのが現実です。

この間も高級手描き友禅を主とした製造問屋が倒産しましたが、見渡すところそれに代わるところはもうほとんどないというのが本当で、作り手の厭世観は増すばかりです。

しかし相変わらずデパートなども作家ものや、問屋名だけで物事を言うような販売が続き、本当に消費者が何を求めているのか理解できず、作り手へそういう情報を流す能力もありません。

有名なデパート問屋も、自分の都合ばかりの商いに終始していて、現実に苦戦していて大きな赤字を計上しています。

それを景気が悪いというせいにしていますが、実はそうではなくて、消費者が求めるものを正しく製作していないということに根本的な原因があります。

お誂えはそういう意味でも、これからのモノづくりの方向性としても有効ですし、確かにある意味手間もかかっても、せっかく作るのだから本当に気に入ったものが欲しいということでしょうし、そういう手間暇惜しまず消費者に努める誠実な態度が求められています。

相も変わらず店外催事で聞いたことのないような作家のわけのわからないようなものを、
舌先三寸で高く売りつけるような商いをし続けるところに、未来はありません。

楽をして儲けようというような時代ではありません。

必死になってやっと食べて行けるというのが本当です。

銀座も物販全般よくありませんし、銀座にできた大きなビルも観光客がただ見に行っているだけというのが本当です。

内需が伸びない大きな原因は政治の貧困にありますが、益々質が劣化しており、このままでは本当に大変な状況であろうと思います。

よく言われるオリンピック特需も物販にはないようですし、その宴の後の強烈な不況も今から予想されています。
今の無能政治ではとんでもない状況が招来すると思うので、キモノの本物も今のうちに購入された方がいいというのはいつも言いますが嘘ではありません。

とりあえず私なりには色々頑張っては見ます。


中国との交易

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1年ぶりに上海に来ております。

京都本社の(株)染の聚楽は先代以来安土桃山時代後期から江戸時代初期の絢爛豪華な衣装をベースにして、華麗な作品作りを手がけており、特に縫箔での表現では他の追随を許さないものと自負しております。
総刺繍のキモノも過去からずっと手がけておりました。

そんなおり、たまたま昭和49年に、機会があってあり中国の刺繍の技の視察に訪れて、その精緻な秀逸な技に出会い、あまりの美しさに息をのむ思いでした。
この技をキモノに取り入れれば、いかに美しいキモノが出来るだろうかという思いで取り組み始めたのですが、そこからが大変でした。

中国の蘇州の刺繍は今でも当社がお願いしている名人クラスの技は、世界一だろうと思います。
その特徴は、極細の糸を撚らないで挿していく中国でいう平綉(ぴんしゅう)にあります。

刺繍糸は極細の糸12本で1本となっていて、日本ではそのままの太さで縫ったり、半分ずつを撚り合わせて使ったりしますが、蘇州の名人クラスはその本当に見えないくらい細い1本を使って動物の毛並みなどを表現します。

風景や動物を刺繍で絵のように仕上げていくのが当時の刺繍の用途でしたので、刺繍の技の種類も少なく、キモノを刺繍するために必要な技は教えなければならないと思ったら、実はほとんどがあったのです。

考えてみればかつて皇帝の衣装などには凄い刺繍が施されていて、金糸銀糸の仕事も多かったようで、金糸ももとは中国から伝わっています。

私が訪れたころは完全な社会主義国で、贅沢な衣装など論外で、金駒縫いなどは全く使われていなかったのですが、技としては伝えられていて、菅縫い、相良縫いなども問題ありませんでした。そこに日本で使われている技法なども加味して、泰三の世界を作り上げてきたわけです。

キモノというものが何かを教えること、仕事をするときにその上で汁飯を食べたりするようなことがあったり、仕事に取り組む基本の姿勢や、刺繍台への張り方など、色々厄介なことがありましたし、刺繍糸の質がとても悪く、それに中国人の感性があまりにも違うので、失敗もあり、結果当社では日本で糸を染めて、すべての技法などの指示書を添え、単に蘇州には技だけを求めるという形にしました。

これにはとても手間もかかりますが、最高級品を作っていくには手を抜かないことが肝要です。
後から始めたコピー屋などでこんなことをしているところはどこにもありません。

色々安物屋が大挙して入ってきて、品質にも影響を与えたり、大変なことも多々ありましたが、今の今まで続けてこれたのは(あとはみんな撤退したり、倒産したり、ベトナムに行ってしまい、より品質の悪いものになっています)、徹底してその高品質にこだわってきたからでしょう。

確かにコストも随分上がりましたが、それでも絶対日本ではできないことをしてきたことで、つづけてこれたのでしょう。

残念ながら近年日本人の文化への思想が変化をして、潤沢に作ることがかなわず、本当に悔しい思いですが、今日の今日まで少ないながら作ってこれたのは、アンテナショップの開設が寄与しているのは確かです。

ただいつも言いますようにこれからのことが読めませんし、生産者側の高齢化などが一段と進むだけに、手張りでの生産は私の年齢もあって、そろそろ終焉に近いかなと考えています(手を落とせば可能ですが、それでは私がやってきたことに意味がなくなります)。

お誂えがあれば今ならしばらくは対応できそうですし、そういう方向でものを考えていることを中国の現場に伝え了承を得ています。

今の管理工場の社長が、私が求める品質こそ蘇州の刺繍文化であり、それを自ら中国人が貶めてくのは嘆かわしく、私が仕事を出しながらその技を守って行きたいという思いを理解をしてくれて、品質維持向上に努めてくれたことが続けられた原因でしたし、彼らへの感謝の念は一生忘れませんし、終生の友人でもあります。

良い仕事はお互いの理解あってこそで、儲けるために値切り倒すような下劣な輩が続けられるわけが合いません。

それはこれからもずっと同じことです。時代を継がれる方は、誰のおかげで仕事ができるのか、仕入れ先や作り手への思いやりと感謝を忘れないで頂きたいと思います。

キモノはファッション

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北川の倒産はある意味一つの暗示かもしれません。

私が大学卒業後修行に行って京都に戻った頃、確か当時で70億円ほどの売り上げがあって、高級呉服の製造卸業ではダントツの会社でしたし、センスも良く、実際よく売れていました。

それが直近の売り上げは1億円もないようです。

これには、この会社自身の問題もあって、詳しくは書きませんが、ただ高級フォーマル路線を歩いてきた道が極端に細くなっているという背景はあります。

この会社の社長はバランスの悪い男でしたから、わざと重い加工のものを突っ張っていたのですが、柄が多すぎてかつてのようなセンスの良いモノづくりが出来てなかったのは確かです。

今の時代は、逆にあっさり目が求められているのですが、それが読めていなかったということも事実です。

キモノもファッションです。時代背景で人々が求めるものは刻々と変化していきます。

それを産地に伝え、物作りに変化を求めるのが、売り手の仕事でもあります。

ところが近年はそういう声が全くといって聞こえてきません。作られたものをただ借りて売っているというところがほとんどです。

これでは特に都会部の社会の変化に応えることは出来ません。

売り手も自分でものを作る感性を持つべきだというのは当然のことで、かつて買い取りが中心の頃には、各店には好みがあって、それを消費者に訴える、つまりセレクトショップが呉服屋の姿でした。

今はそういうところがほとんどありませんから、問屋が提案するものを借りて催事をするとか、その店の顔も好みも見えませんから、作り手はそれなりに消費者の好みを忖度して製作しているのですが、正しく世間の好みの変化を読んでいるところは少なく、過去の成功体験に基づいたものづくりが多いような気がします。

まあいわば前例主義ですか。しかし変えると言ってもとんでもないものを作ることではありません。
伝統に革新はつきものとは言っても、それは過去のものを否定すると言うことではないと言うことを教養のないものは分かりません。

消費者がキモノに求めているのは、特に染めのキモノは基本は古典模様なのですが、明らかに色の好みなどが一頃とは違います。

それは前に出てお客様のお相手をするものが一番分かっているはずなのですが、新規客を取れないとその流れの変化を読めません。

キモノだけでなく色々なモノづくりでもそれなりに変化を感じますし、そういうアンテナをいつも張っていないと、その時代に要求されるものを感じ取ることは出来ないのです。

ファッション業界に生きるものは毎日ただなんとなく歩いているのではなく、色々と観察する眼が欲しいですね。

特に色目の好みの変化は大きく、自分の欲しい色目のものを探されていることに今の業界は対応できていないと思いますので、来月は付下げなどのお誂え会をしてみようと思っています。

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