また銀座の店が閉まった

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キモノ業界はここのところかなりの苦境を脱しきれず、何となく静かな状況です。

地方都市では廃業する専門店もかなり増えているようですし、このままではいつもいうように欲しいものを売っているという店がなくて需要が下がる一方となり、それがまた生産を落とすというデフレスパイラルから脱せないまま、現場から去る人がどんどん増えていくことになります。

そんな状況の中で先月末で銀座の呉服専門店がまた1つ閉店しました。

ここはある地方の呉服屋が2年前に銀座店として進出してきたのですが、結局3年も持たないで閉店しました。

場所が銀座の端の端だったこと、いきなりとても大きな店を立ち上げたので、家賃も半端でなく、業者間では絶対に続かないだろうと噂をしていたのですが、案の定でした。

売っているものも作家モノだとか、その辺の店で売っているようなものばかりでしたし、正しい知識も無いようでした。

どうして最初は小さな店構えから始めなかったのかと思います。銀座に店があると言うクレジットが欲しかったのかどうかは別にして、欲をかかないでこつこつやっていたら
まだ続いていたと思うのですがね。

開店に当たって買い取りしたキモノや帯を問屋に返品したとかろくでもない話が聞こえてきますし、当たり前のことを出来ないところが欲で始めたのか、まあ続くわけもなかったのです。

しかし2年間でもどんな店かも知らないで買った人もいるわけで、そのお客様に迷惑を掛けることになるのはとんでもない話です。

噂ではもう一度出店し直したいと画策していると言うことですが、心を入れ替えないと無理だと私は思います。

大都市部に販売拠点を持つこと自体は正しい選択だと思いますが、やはりそれなりのリスクはありますし、当然ですが敷金、家賃、店舗工事費などもよくよく考えて無理のない範囲で考えるべきでしょう。

私の店でも最初はお客がないわけですし、最初から大きな経費を掛けないようにしていました。宣伝広告は、当時当社が問屋として卸していた店が銀座にまだ当時存在していたので、余り大々的にすることが出来なかったので、HPを活用して、ネットでの発信を心がけたものです。

店舗に多大な経費を掛けるのではなく、一番大事なことは販売する商品そのものに力を注ぐべきなのです。

どこにでも売っているようなものとか作家ものとかではなく、自らのオリジナルのモノを置くこと、作り出すことを是非して欲しいと思います。

特徴ある商品の有るところに必ず人は集まります。どのように発信するかと言うことは勿論大事ですが、その店に行ったら欲しいモノがある、買いたいモノがある、そんな店作りでないといくら銀座に店を出しても長く続かないと思います。

やはり変えていかなければ

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あっという間に1週間くらいが過ぎてしまいますが、この世の中は変っていないようで確実に変化し、人々の生活習慣、思想、行動など文化が変質しているのは間違いありません。

キモノと言う文化に関しても同様で、かつては資産価値もあったキモノですが、今では袖を通せば二束三文と言う体たらくですから、母親から残されたきものを買い取り業者に依頼して余りの安さに絶句する始末です。

ですからキモノを資産として買うというのはよほどのもの以外はあり得ません。
つまりキモノは売るのを目的で買うのではなく、自分が楽しみ、家の思い出として次世代に送るというものです。

ただ送るべき相手のいない方は迷われるわけで、キモノを買っても、貰ってくれる人がいないからどうしようと思われる方は少なくありません。

しかしレンタルではペラペラで着たいと思うキモノも無いと言うことで、やはり買われるという方もおられます。

キモノを着たいと思われる人口はかつてよりは増えているように思いますが、ただ着たいと言うだけで、レンタルも増え続けていますし、キモノを消耗品扱いでリサイクルで安く買って、絹なのに洗濯機で洗う人までいます。

この古めかしい業界でもっともひどいのが流通環境で、金もろくに払わないような小売屋や、問屋がいまだに大きな顔をするというようなレベルで、ここを排除しりゅ鬱を変えることができれば、ペラペラのキモノを作ることではなく、良い生地できっちりした手の仕事の物を買いやすく出来るのですね。

私はそれを遣り切ったという思いはありますし、産地がパイロットショップを消費地に出していくことで新たな需要を開拓できると信じているのですが、どういうわけか実現しません。

価値観も変ってきて好みも変ってきていることは、本来売り手が作り手に伝えるべきですが勉強不足の小売屋に出来るわけもなく、自ら情報を取りに行かないといけないのです。

産地が新しいモノを作っても売れ続けなければ再生産は出来ません。

どんどん世の中は変っていきますが、ただキモノ党文化の底辺に流れる日本人としての感性はそんなに変っていないことを、本当に買いたいと言う人の声を聴けばよくわかります。

ネット上で買いもしないけれどああだこうだという人もいますが、余り参考になりません。キモノコンサルと称する連中も言葉も殆ど聴くに堪えません。

そこそこの価格でも良い物を買いたいという人達がどこに行っても思うようなモノがないというのが今の時代で、私はそういう人達が欲しいと思うものばかりを作って置いていたので全国からお買い求めにおいでになったのです。

誤った情報をいくら仕入れても役に立ちません。安い物しか売れないなどと勝手に思っている輩も多すぎて、インクジェットよりも安く作れるキモノでしか生き延びられないなどと思ってしまうのでしょう。

何かを変えなければならないと思っている、危機感を持っている人は多いでしょうが、一番変らなければならないのは自分自身だと言うこと、それも正義のある仕事に向かって変えていくと言うことを心がけて欲しいのです。つまらない輩の言葉に迷わされないで、信念をもってキモノを買いたいと思っている人のためにのです正しい努力をして欲しいのです。そうすれば世間の変化にいち早く対応できると信じています。

チンドン屋のカーニバルのようなことばかりしても産地の苦境は救えませんね。

喪服の話

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過日FBに喪服を着たときに、衿の色、帯揚げの色、鼻緒の色、男性なら羽織の紐の色、が白なのか黒なのか、いや灰色なのかと言うことについて書いたら、色々なコメントが来たのですが、改めて歴史などを追って書いてみます。

この間は喪服の時の衿や羽織の紐や鼻緒などが本当は白だろうとちょっと書いたのですが、ある業界の先輩から違うご意見を頂きました。
たとえば男が黒の羽織袴で小物を白にするというのは武家の文化で、それはそれで正しいが、今の上時代喪主が結婚式と同じ姿をしていると何となく奇異に思う人もいるだろうし、京都は元々公家文化で、宮中では黒、あるいはにび色が喪の色とされていたので、京都ではその方が良いのではないかとおっしゃっていて、それも一理あると言うわけで、結局今の時代には正解がないと言うことになります。

歴史的に喪服の色について調べてみると、古代の日本はすべて白の衣裳だったそうですが、718年養老律令の中にある喪葬令に、天皇は直系2親等以上の喪には
錫紵(しゃくじょ)を着ると定められているのです。
実はこうした律令はほぼ唐の時代の物を参考にしているのですが、この喪の衣裳については唐書という書物の中に、皇帝は喪服は錫衰(しゃくさい)を着ると書いてあり、それを日本も取り入れたと言うことなのです。ところがこのときに大きな勘違いをしてしまいました。
唐でいう「錫」とは、灰汁処理した目の細かい麻布のことで、それは白い布のことだったようですが、どういうわけか日本人はこれを金属のスズと解釈し、スズ色、つまり薄墨が喪の色としてしまったのです。錫紵の色は、平安時代になると貴族階級にも広まって、薄墨だった色合いも次第に濃くなっていきます。これはより黒い方が深い悲しみを表現すると考えられたようです。
しかしこうした色を着ていたのは一部の上流階級だけで庶民は白だったようです。
ただ室町時代になると、天皇家は別にして殆どがまた白に逆戻りしたそうです。
それはなぜかというと、実は鈍色(にび色)や黒に染めるのは大変難しく手間も掛かるし、それに当時は喪服は穢れるといって一々捨てていたとのことですし、染めるのに手間の掛かるものを捨てるのはもったいないですし、簡素な白に戻ったのではないかと言われています。
明治になって欧米の文化が流れ込んできて喪の色は再び黒と言うことになり、一般にも普及していきますが、それは黒の染料が輸入され黒に染めることが容易になったこと、戦争が続き葬式があまりに多いので白では汚れが目立つから黒に変ったという事情もあったと考えられます。
ですが地方によっては今も白の所も少なくないので、まあ明治以前の喪の色は一部の人を除いて白であったというのが日本の伝統ですね。
ですから現代それがごっちゃになって、喪服は黒だけど小物が白だったり、衿も白、黒、鼠色とまちまちで、統一した基準がないのと同じです。
ただどちらが間違いということではありませんし、自分の考えで小物も考えれば良いと思います。
とはいっても出来ればこうした基本的な事実を知っての上で選択すれば良いのです。
日本の伝統は明治になって本当に混乱し、護るべきことが次々と壊れていったという事実は否めません。
護るべき人がモノを一番知らなかったと言うことに問題があるのは確かです。
そういう意味では今は無教養きわまりない輩が激増していますからもっと恐ろしく、最悪の状況ですし、個々が正しい知識を身につけることが求められます。

旧弊の打破

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何となく忙しく徒然なるままに毎日を過ごしていくと、あっという間に1週間ぐらいが過ぎ、あれもやらなければこれもやらなければと、気ばかり焦り反省する日々です。

さてこの夏は大災害が連続し、被災された方々には心からお見舞い申し上げますが、爪痕も大きく平時に戻るまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

そういう事情もあって、キモノ業界は一段と低迷し、専門店の催事などにも集客が少なく非常に業績が悪化している模様です。
先日老舗問屋が破産しましたし、色々な噂も聞こえてきており、心配な状況です。

京都の問屋なども、自社ビルを改装して貸しビルを兼業したり、他業種の仕事に取り組むところも散見しますし、脱呉服を図る動きはこれからも加速する恐れがあります。

そうした事態を受けて、物作りも低迷し、近年作り手のリスクが余りにも大きいせいもあって、生産数だけで無く質の低下も著しく、コピーまがいのものが大きな顔をして市場を動いています。

このままでは益々消費者が真に求めているようなモノが姿を消していく可能性が大きく、それで需要減退となっていくでしょう。

今年の夏の災害などは特殊事情ですが、今までどんどんキモノや帯が売れなくなっているのは、私が何時も指摘しているとおり、キモノ業界が自ら売れなくしていく環境を作ってきたからに他ならないと考えます。

当りまえのことを当たり前にこつこつとしていけば、消費者からの信用も厚く、そうは大事にはならないはずなのですが、専門店も店売りよりも催事販売ばかりに傾注し、それも委託ばかりですし、店内在庫が陳腐化して、購買動機を高めることが出来ません。

ちょっと店によられるお客様が、いつも何か気を引くモノを陳列しておけば、衝動買いも増えるのでしょうが、ただ店を開けているだけという状況では、本当にもったいない話だと思います。

キモノ業界への不信も一向に沈静化することも出来ず、旧来からの流通構造に甘えるために、一物に何価も発生するという体たらくで、それがまた不信に輪を掛けます。

業界挙げて取り組むべきことは希望小売価格の設定です。
同じモノは日本中どこに行っても同じ価格で売られるべきで、それよりも安く売るところがあっても良いけれど、べらぼうに高く売るなどと言うことが本来許されるはずもないのです。

取引条件によって仕入れ価格が上下することがあっても良いですが売価は決められたとおりに売るのが世の常識です。

世界に1つしか無いような当社のモノはどんな価格で売られようが勝手だと言えばその通りかも知れませんが、それをどうするかは本来メーカーが決めることで有り、市場はメーカーが支配し操作しなければなりません。

私はそのことに25年くらい前から取り組み、ブランディングと共に市場価格の安定のために出荷調整などをして、市場にあふれけることがないように常に市場調査をしておりました。いわゆるマーケットリサーチをしつつマーケティングをしなければならないのですが、この業界はまさにその辺がいい加減で、消費者の声を無視した作り方売り方を続けてきたことが結局自らの頸を締めてしまったのです。

自分が買う女性の気持ちになって考えるのが当然で、そのためにキモノを着る機会のある伝統芸能や伝統文化にも積極的に触れ自分のモノにしていく努力なども当然のことと私は考えていました。

そうした教養もないものがろくでもない物作りで底辺拡大などとほざいて言うことに嫌悪感と奇異な思いをしております。


旧弊の打破はつまらない安物を作ることではありません。もっとも問題の流通構造を如何に消費者サイドに立ったものに再構築していくかなのです。

私は自らそれを実践し、遣り切った感はあるのですが、余りにも売り手の不存在が目立ちますのでもう少し頑張ることにいたしたわけです。

ただ私を要求する人がいなくなれば当然ですが廃業と言うことでございます。
必要とされるかぎりは頑張りたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。


第一回泰三の会は無事終了いたしました。

今回は苦言うところでこれから皆様とお会いしますというデモンストレーションのようなモノでしたが、お忙しい中おいで頂きお買い上げ頂いたお客様には心より御礼を申し上げます。

以前のように常駐の店がありませんので、即時対応はなかなか出来かねますが、お急ぎの時は電話やメールでご連絡を頂ければ結構ですし、そうでなければ今後2,3ヶ月に1度銀座東武ホテルで開催する泰三の会で種々のご相談に応じます。
またその都度テーマを絞り、皆様に提案をさせていただけたらと思っております。

次回は11月16日、17日の予定ですが、FBで先に発信させて頂いたところ、もうすでに来場希望のご予約が入っております。

何しろ家内と2人だけですので、客様が3組以上重なるとお相手が出来なくなりますので、是非ともご予約をお願い申し上ます。

今回も他所の呉服屋でトンでも無いことを言われたとか、まだまだ私が果たすべき仕事は少なくないなと感じるのです。

来月久々に大学のゼミでの講演を頼まれていますが、服飾文化としてのキモノの、歴史やその文化性について話すつもりです。

キモノを持っていってこれが小紋でこれが留袖で等と話しても、すぐに忘れるでしょうし、そんなことを学生に話すのなら、別に私で無くても良いわけですし、キモノ業界で多分私だけが幅広く日本伝統文化を語ることが出来るだろうと言うことで、その背景にあるキモノのことを話しますが、まあ一回きりのことですし、蘊蓄話で、何か年を取ってもおぼえていて欲しいようなことを話してみたいと思っています。

日本人がキモノを着ない、知らないというのは本当に由々しきことですし、総理大臣夫人がキモノを着ないなどと言うのは世界の恥さらしなのです。そういう女がファーストレディになってはいけないのです。そういうことも気が付かせてやりたいと思っています。

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